
| 黒川紀章 |
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黒川紀章(くろかわ きしょう) (1934年4月8日 - ) 愛知県海部郡蟹江町生まれの建築家。 黒川紀章建築都市設計事務所所長。 妻は女優の若尾文子。 弟は建築家の黒川雅之。 2007年東京都知事選挙に立候補し、石原慎太郎らと並んで主要4候補のひとりとしてメディアに取り上げられる。TV討論に出演するなどしたが、落選(票数159,126、得票率2.9%)。上位3候補には大きく引き離され、反対にTV露出のほとんどなかったドクター・中松の得票率1.6%の方に近い。 早々と主要候補のうちに名を連ねたにも関わらず、結果的に得票数は少なく泡沫候補とも変わらないような状態だった。多くの評論家、ジャーナリストから「なぜ出たのか分からない」「本気だったのか分からない」「金持ちの道楽」と言われるなど、立ち位置が分かりにくかったことが敗因ではないかと思われる。 しかし、選挙の翌日フジテレビのインタビューを受けると、直前の浅野史郎が敗因や感想を述べ総括をしていたのと対照的に、都政の具体的な話題に熱弁をふるったり、次の都知事選に触れるなど、政治への熱意がさめやらぬ様子だった。 東京都知事選挙の二日後には共生新党として参院選に挑戦する意志があることを明らかにした。 陸海空作戦−自らがデザインした円形のガラス張り選挙カーを使用、クルーザーから手を振る、ヘリコプターで都知事選候補者では初めて離島へ向かうなどの選挙活動を黒川自らが陸海空作戦と称した。当初は飛行船から桜吹雪を撒き散らすというアイディアもあったが、選挙管理委員会の許可が降りなかった。 奇襲作戦−他の主要候補者が演説している場所に突然現れ、対話しようとする選挙活動を一部のメディアが奇襲作戦と称した。選挙戦の最終日は新宿西口で演説中の石原慎太郎候補の近くに来て、「石原裕次郎の名前を出さないと当選できない石原慎太郎さんには、この歌を送ります」といい、石原裕次郎の名曲「銀座の恋の物語」を歌った(だが非常に音痴だった)。 このように、世界的な建築家というイメージを覆すようなパフォーマンスを披露した。本人によると、本当の選挙の姿を模索しているという。 また、目立つ行動を印象に残したが、決してパフォーマンスのみに固執しているわけではなく、都政の個別の案件を独自の専門的視点で批評するなど、政策通のような堅実な姿勢も見られた。 |
| 経歴 |
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1953(昭和28)年、東海高校卒業。 1957(昭和32)年、京都大学工学部建築学科卒業。 1964(昭和39)年、東京大学大学院建築学科専攻博士課程(丹下健三研究室)修了。 槇文彦、磯崎新、谷口吉生らと共に、丹下研出身の世界的建築家である。 1960年代、メタボリズムなどの建築理論を構築し、これに基づいて増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービルなどを設計した。 日本会議代表委員。 アメリカ建築家協会名誉会員、英国王立建築家協会名誉会員、日本景観学会会長、ブルガリア建築家協会名誉会員、フランス建築家協会正会員、カザフスタン建築家協会名誉会員、ロシア建築アカデミー外国人会員など。 |
| 代表作品 |
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■名古屋市美術館■ ■中銀カプセルタワービル■ |
出典: フリー百科事典〜ウィキペディア〜
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